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「転向者の悩みに応う」

愛媛丹原会場です。

先日「 主神様とメシヤ様」の御本が届きましたので、341ページの「転向者の悩みに応う」のところを拝読させていただきました。

その時、以前 所属しておりました神○○明会からメシヤ教に移る際、「あなたの その移ることが問題なのよ。」と本来の御教えとは真逆のことを言われたことを思い出しました。

また現在、 メシヤ教でお世話させていただいているTさんに御本を渡した際にも、神○○明会の友達から「T君は、霊的にやられて変な信仰に入ってしまったから近づかないように言われた。」と聞かされたことを思い出したそうです。

二人でこのページをもう一度 拝読させていただき、「本当のことを教えてもらっていない神○○明会の人たちは かわいそうだね。」と確認し合いました。

また 彼は秀明会にいた時、お世話される上においても 一つ言えば十返ってくるような責めの言葉や、「○○しないと大変なことになる」などといった恐怖信仰を植え付けられていたようです。

ですから、初め楳木先生にお会いした時も、“秀明会と同じような先生であれば、一切無視しよう”と警戒していたところ、まったく違い 、本来のメシヤ様の御教えや、的確なご指導、 お話をいただき、“もっとお聞きしたい”“学ばせていただきたい”という思いになり、一年余りずっと愛媛丹原、西条両会場にて メシヤ講座に出席をさせていただいています。

この「主神様とメシヤ様」の御本は、神○○明会の方々に是非拝読していただきたいと、切にお祈りいたします。

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主神様とメシヤ様

三重支部 です。

24ページの次の御教えを拝読させて頂くと、「如来となってから明主の名にしたのである」とありますので「光明如来」の御神体のときの尊称が「明主様」だと言えませんか?従って御神体が「主之大御神様」になった現在はやはり「メシヤ様」の尊称であるべきだと改めて思わせて頂きました。


以前私は「大先生」と呼ばれた事があったが、其時は観世音菩薩という菩薩行であったからそれでよかったが、如来となってから明主の名にしたのである、また「自観」とは自分は観音の働きをしてるという意味であり、その他和歌の名の「明麿」も斯ういう訳で付けたのである。
(中略)
 そうして神様は私の霊的地位や、仕事の関係などから、相応した名前を御付けになるので、今後と雖も名前が変るかも知れないし、変らないかも知れないと思うが、考えてみると「明主」の言霊は、メシヤと五十歩、百歩だから、或いはメシヤの名前になるかも知れないとも想っている。
「私の名称に就て」栄光一二一号 昭和二十六年九月十二日
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