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『文明の創造』をアマゾンでも購入できることになりました。

本部です。

昨日、『文明の創造』をアマゾンでも購入できるようになりました。

大変お待たせしましたが、アマゾンへアクセスすれば何処からでも注文でき、送料も多少ながら安価になりました。

これに伴いメシヤ教HPトップページでの「購入方法」を変更しましたので、ご確認してください。

これまで頒布にご努力していただきましたが、新たな手段としてご活用ください。
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『文明の創造』販売開始の御報告

本部です。

札幌支部のTさんから次のような報告がありましたので、書き込みをします。


**************************************

札幌支部のTです。

札幌支部では、まだホームページを用意しておりませんので、この場をお借りしてご報告とご案内をさせていただきます。

全国各地で頒布活動が展開されます中、お蔭様をもちましていよいよ札幌市内でも、『文明の創造』の一般書店販売開始を御許し賜わりました。

札幌市南区の地下鉄南北線・真駒内駅構内に店を構える、

☆ 『Books.あしたや』
http://www5.ocn.ne.jp/~ashitaya/

こちらの店内最奥の書棚に置かせていただける事になりました。

(※ 社長のお話では、同社経営の自然食品店内の書棚にも、並べていただけるそうです。)

メシヤ様をはじめ、出版に携わられました先生や三重支部の皆様方、鈴木興産様、仲介下った自然食会社のM代表、そして、書店社長…皆様本当に有難う御座います!!

これを契機に頒布運動と案内へ一層精進邁進させて頂く所存です。

これからが頒布運動と文明転換の始まりと気を引き締めます。

全国の皆様のご活躍を心より祈念申し上げます。

この度は、誠に有難う御座いました。

**************************************

以上です。

この他、大阪、岡山の書店から追加納品の依頼が来ているなど、徐々に『文明の創造』頒布の拡がりができつつある報告が届いています。

全国の皆さんのご努力に感謝致しております。


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文明の創造

鎌倉支部です。

皆さまこんばんは。最近のご報告をさせていただきます。

鎌倉支部に毎週御参拝に来られているいづのめ教団所属のTさんが沢山の知り合いの方に文明の創造を紹介しています。先日も10冊預かってもよろしいですか?との事でした。メシヤ様の御教えを沢山の方にお伝えしたいと言う事で、今度はあの人にという様に日々ご自身で計画しつつ広めておられます。不思議と話す方皆さんが読みたいと言う様です。

また元秀明会のIさんは先日、秀明時代の友達に文明の創造を持って行きましたが、その方はわずか数分もしないうちにスッキリとしたと言って眠り始めたそうです。今まで溶けたことが無かったそうですが、1.2分で眠ってしまったそうです。御光が強いと御本人も大変驚いていたそうです。

文明の創造が発刊されて以来、日々浄霊力も強くなってきておりますし本来の在り方を求めておられる方々との出会いも増えて来ております。

日々沢山の証をいただく中で、自分自身の信仰の在り方を反省させていただきつつ今後の姿勢、取り組みについて考えているうちに、あまりにもお粗末だと半分落ち込んでおりました。焦る心を落ち着かせながら日々悶々と過ごしておりました。
そんなある日、明け方にメシヤ様の夢を見させていただきました。

メシヤ様はとても御優しく、焦らずとも大丈夫だから安心して取り組みなさいと仰ってくださり、あまりの勿体なさ、有難さに号泣してしまいました。

目が覚めてからも余韻に浸りつつ、感謝でいっぱいになりました。

いたらない事ばかりですが、これからも皆さまと共に地道に取り組ませていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

『文明の創造』校正の御神業に取組み神様から御褒美が

三重支部です。

昨日は、月次祭を終えた午後から『文明の創造』の校正チェックを行いました。
私達が事前にチェックして鉛筆で書き込んで該当文字とページに付箋を貼っておきました。
これが校正箇所のないページがほとんどない程の量なのです。

先生は1箇所づつ確認しながら赤ペンで印刷所にわかるように書きこんでいきます。
先生の左右でゲラ版のページを押さえて、先生が赤ペンで修正したら、鉛筆の書き込みを消して付箋を外し、そのページに新たな付箋を貼りつけ、次のページを捲(めく)ります。

慣れてくると凄いスピードで校正が進んでいきます。

作業しながらある情景が頭に浮かびました。
追体験をしているような感覚になったのです。

それは、恐れ多いことですが、メシヤ様がお守りを御揮毫されているのを奉仕者が手伝っている情景です。

『東方之光 下巻』の588~590ページに「印刷機のように」と題して次のような紹介がされております。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
教祖は、座について紙に向かうや一気呵成(いっきかせい)、まるで印刷機のような速さで筆を揮った。

「こういう熟練工になるには、三年くらいかかる。」

と、笑って言ったことがあったが、神体や扁額用(横に長い額として用いる)の大きい文字ならば30分に100枚、お守りは「光」一字なので、一時間で5、600枚に達したのである。

普通ではとてもこんなに早く書くことはできない。教祖は早く大量に書くためにつぎのような方法を工夫した。それは、特性の白紙と古い新聞紙とを交互に重ねて、100枚単位のものをあらかじめ用意しておき、その紙の上に墨痕鮮やかに筆を運ぶのである。

書き終わるとすぐ係が下の新聞紙ごと素早く引いてずらすのだが、ずらし終わった時にはもうつぎのを書き終わっているという、まさにベルト・コンベアー式の流れ作業であった。

これがスムースにいくように、いつも三人の男性の奉仕者が手伝ったが、教祖のスピードとうまく呼吸が合うまでにはある期間の修練が必要であった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

三重支部では2009年8月に初めて『主神様とメシヤ様』の研鑚資料校正に携わり、以後『文明の創造(一)、(二・上)、(二・下)、(三)』そして今回の『文明の創造』の仕上げ本の校正に取り組んでまいりました。

校正作業3年目になるわけです。

幼い子供を育てながら、寸暇を惜しんで期限に間に合わせようと作業にあたって下さった方、パソコンが使えず、老眼鏡をかけなくては小さなルビが読めないのに、手書きでビッシリ抜き書きして下さった方。
ただただ感謝申し上げます。

なんと、
御神業に臨む真摯な姿勢に神様からの思わぬ御褒美がありました。

『日月地』の御書(お軸)が入手できたのです。『五六七』のお額はございましたので、これで経緯揃ったわけです。

『日月地』の御書の壁の裏が廊下でその向こうにトイレがあるのですが、朝5時に目を覚ましトイレの電気のスイッチを入れようとした瞬間にピカッと物凄く明るくなったと同時に轟音が響き渡りました。支部のある団地の周囲だけだったようです。雷はその一度きりだったのです。

やがて、雨も止み晴上がり、月次祭で初めてお披露目となりました。
今月の月次祭は、いつもは参拝出来ない方も参拝が許されました。
三重支部に通うほとんどの人が参拝が許されました。

以前、楳木先生に「今は『文明の創造』校正という重要な御神業を担っているから、あまり浄霊が忙しいと神様が困るから少ないのです。発刊されるといっぱい参拝者が来るよ」と御指導いただいたことがあります。

今回のことは、支部発展の兆しであると受け止めさせていただきました。

*『日月地』御書の写真はメシヤ講座・三重の更新の時に掲載させていただきます。

『文明の創造(二・下)』を校了しました。

本部です。

今月は『文明の創造(二・下)』の校正作業を三重支部の方々と進めまして、昨日校了いたしました。明日から印刷製本に取り掛かりますので、「地上天国祭」において頒布できますことを嬉しく思います。

校正作業を通して改めて感じたことは、 メシヤ様がそれまで説かれたことを集大成する御意図を以って御記述されたように拝されるということです。今回は病気の原因を腎臓に集約されてお説きになられた項であり、今後浄霊に取り組む上で更に力となります。

また、これまで病気に対する「判釈」が他の教祖と際立って異なる、という見方で説明してきましたが、校正を通して改めて拝読を重ねますと、肉体の仕組みを昭和27年(文創時)にこれほど詳細に解説されていたのだ、と驚かされます。“正に『医学革命』なのだ”との思いが今更のように突き上げてきます。

これは、中国地区で出会った方々の話 が印象的であったからかもしれません。代表例を紹介しますと・・・。

お一人は、胃癌について MOA 療院で「これまで浄霊をして、御用も取り組んできて癌になったのだから、全摘して、その後浄霊に取り組めば良いのではないか」と医者に言われたとのことです。悩んで全摘に傾いたが、長年共に取り組んできた方(今月メシヤ教入会)から「メシヤ様の御教えはそんなものではないでしょ。浄霊に賭けよう」と励まされ、非常に良い経過である、ということでした。

しかしながら、療院の医者の言った内容は、“今日までの MOAの取り組み、東方之光教団が進める療法を以ってしても癌になりますよ”という意味で、療法を慰め程度にしか扱っていないということです。つまり、東方之光教団の進める取り組みを全面否定していることなのです。全面否定している医者を MOA 療院の責任者の医者に据えているという矛盾です。

私は、その方に取り組む上での諸注意をお話して、ご家族に対して浄霊の解説を取り次ぎ、御守護をお祈りいたしました。

もうお一方は、御神体御奉斎式で出会いました。御奉斎式参列者と御在世当時から一元化以前までにいただいた数々の御守護の話に花が咲きました。私は「今、メシヤ教ではそうした御在世当時と同じ御守護を信者の皆さんが不断にいただいていますよ」と答えると、不思議そうな顔をしていました。

その方も鮮やかな奇蹟を数々体験(代表例は農薬で自殺した人を浄霊で救った)してきているのですが、先般「膝の手術をした」とのことでした。片方の膝も手術の予定だと言うので、「メシヤ様に直に繋がって浄霊をすれば、必ず良い方向へ繋がります」と答え、浄霊の仕方をお話しました。

こうした方々と出会うたびに、東方之光教団の姿勢が不可解でなりません。かつて教条的ですらあったグループが、何故御教えに反する取り組みを重ねるのでしょうか。『文明の創造』を始めとする真理を東方之光教団はどのように捉えているのでしょうか。

きっと、教団幹部は、「明主様は薬はいけないとおっしゃってる。でも、うちは薬を 出している。それによって間口が広くなり、岡田茂吉の名前が世に広く知れ渡るんですよ。理想は高く、でも、間口は広くで活動するのがMOAです。」という意味のことを説明するでしょう。

しかし、それで人が救われるのですか、ということです。

先ほどのブログ「岩戸開き」で指摘している内容は深刻です。、

「取り分け化粧品販売の戦略に対する在り方として、『感覚美』という御表現は正に心理学的な対応であると考えられます。

今日まで、各教団はこうした企業側の戦略に対して対応していなかったために、御教えへの探求が浅かった、と言わざるを得ません。また、メシヤ様と比べて大幅に社会性が欠落していた、とも言えます。

現在、MOAを通して社会性を強調していますが、如何に的外れかが解ると思います。(後略)」

本来、宗教は社会改革を進めるものであって、けっして社会迎合ではないのです。

メシヤ様は可能な限り全人類を救うために降臨され、宗教を以って救済を展開したのです。『超宗教』と仰った意味をどうも履き違えているようです。

今回も批判的になりましたが、新たに出会う方々が余りにもお気の毒なので書かざるを得ませんでした。

文明の創造 序文について

三重支部です。

「栄光 第266号 昭和29年 7月21日」に「文明の創造 序文」が掲載されています。「栄光 170号、昭和27年8月20日発行」と内容が若干異なっております。

比較してみましたので下記に掲載します。
上段は文明の創造(一)のワードからの転記ですのでルビが(  )書きになってます。また、栄光 第266号での序文の表記は歴史的仮名遣いではありません。

序文

〇此著は歴史肇(はじま)って以来、未(いま)だ嘗(かつ)てない大著述であり、
◎此著は歴史肇って以来、未だ嘗てない大聖書であり、

〇一言にしていへば新文明世界の設計書ともいふべきもので、天国の福音(ふくい ん)でもあり、二十世紀のバイブルでもある。
◎一言にして言えば新文明世界の設計書であり、天国の福音でもあり、二十世紀 のバイブルと言ってもよかろう。

〇といふのは現在の文明は真の文明ではないので、新文明が生れる迄の仮の文明 であるからである。聖書にある世の終りとは、此仮相文明世界の終りを言ったも のである。
◎即ち現在の文明は真の文明ではなく、新文明が生まれるまでの仮の文明であっ て、聖書にある世の終りとは、此仮定文明世界の終りを言ったものである。

〇又今一つの〝洽(あまね)く天国の福音を宣(の)べ伝へられるべし。然る後末期 到る〟との予言も、此著の頒布(はんぷ)である事は言う迄もない。
◎また今一つの〝普く天国の福音を宣べ伝えらるべし、然る後末期到る〟との予 言も、この著の事であろう。

〇そうしてバイブルはキリストの教へを綴ったものであるが、此著はキリストが 繰返し曰はれた処の、彼(か)の天の父であるエホバ直接の啓示でもある。
◎そうしてバイブルはキリストの教えを綴ったものであるが、この著はキリスト が繰返し言われた処の、天の父であるエホバ直接の啓示である。

〇又キリストは斯うも言はれた。『天国は近づけり、爾(なんじ)等(ら)悔改め よ』と。之によってみれば、キリスト自身が天国を造るのではない。後世誰かが 造るといふ訳である。
◎そうしてキリストはこうも言われた。それは『天国は近づけり、爾等悔改め よ』との警告である。してみればキリスト自身が天国を造るとは言われなかった のである。

〇処が私は天国は近づけりとは言はない。何となれば最早天国実現の時が来たからである。
◎併し私は〝天国は近づけり〟とは言わない。〝天国は已に来れり〟というのである。

〇それは目下私によって天国樹立の基礎的準備に取り掛ってをり、今は甚だ小規 模ではあるが、非常なスピードを以て進捗(しんちょく)しつつあって凡) てが驚 異的である。それというのも一切が奇蹟に次ぐ奇蹟の顕はれで、人々は驚嘆してゐる。
◎何より私は目下天国の基礎的準備に取掛っており、甚だ小規模ではあるが、日々驚くべき力と奇蹟を顕わしつつあり、人々は驚嘆している。

〇そうして之を仔細に検討して見る時、神は何万年前から細大漏す処なく、慎重 綿密なる準備をされてゐた事である。之は明瞭に看取出来るが、其根本は旧文明 の清算と新文明の構想にあるのであって、私はそれに対し実際を裏付とした理論 を、徹底的に此著を以て説くのである。そうして先づ知らねばならない肝腎な事 は、旧文明は悪の力が支配的であって、善の力は甚だ微弱であった事である。処 が愈々時期来って今度は逆となり、茲(ここ)に世界は地上天国実現の段階に入る のである。然し之に就ては重大問題がある。といふのは旧文明は当然清算されなければならないが、何しろ世界は長い間の悪の堆積による罪穢の解消こそ問題 で、之が世界的大浄化作用である。従って之による犠牲者の数は如何に大量に上 (のぼ)るかは、到底想像もつかない程であらう。勿論之こそ最後の審判であって、亦止む事を得ないが、神の大愛は一人でも多くの人間を救はんとして私といふ者を選び給ひ、其大業を行はせられるのであって、其序曲といふべきものが本 著であるから、此事を充分肝に銘じて読まれたいのである。
◎そうして右の如き模型的経綸が漸次発展するに従い、他面世界的には旧文明清算の幕が切って落される。それが最後の審判の開始であって、眼目は善悪の立分けである。即ち悪は亡び善は栄える段階に入るのである。これがため如何に多数 の犠牲者が出るかは計り知れないものがあろう。併しながら神の大愛はこれら犠 牲者を最小限に食止めらるべく、救いのその第一声がこの著出版の理由である。
といっても、旧文明世界からも神は善悪正邪を選り分け、善にして役立つ者は残 されると共に、悪にして見込なき者は永遠に滅びるの止むなきに至るのである。


〇そうして右の如く最後の審判が終るや、愈々新世界建設の運びになるのである が、其転換期に於ける凡ゆる文化の切換へこそ、空前絶後の大事変であって、到 底人間の想像だも不可能である。勿論旧文明中の誤謬の是非を第一とし、新文明構想の指針を与へるものである。
◎以上の如く、最後の審判が済むや、続いて新世界設計の順序となるのは勿論だ が、その転換期における凡ゆる文化の建直しこそ、空前絶後のものであって、言 うまでもなくそれは旧文明の誤謬の是正と共に、新文明の指針を示すのである。
処がここに悲しむべき事がある。というのは、人類が数千年の長い間に堆積された処の罪穢であって、当然この大浄化作用が発生するのである。


〇それを之から詳しく説くのであるが、勿論之を読む人々こそ救ひの綱を目の前 に下げられたと同様で、直に之を掴めば救はれるが、そうでない人は後に到って 悔(くい)を残すのは勿論で、時已(すで)に遅しである。以上の如く罪深き者は亡 び、罪浅き者は救はれて、将来に於ける地上天国の住民となり得るのである。そ うして来るべき地上天国たるや其構想の素晴しさ、スケールの雄大さは到底筆舌 に尽せないのである。其時に到って現在迄の文明が如何に野蛮極まる低劣なもの であったかがハッキリ判ると共に、人類は歓喜に咽(むせ)ぶであらう事を断言するのである。
◎それをこれから詳しく説いてみるが、幸いこれを読む人々は救ひの綱を目の前 に出されたのであるから、何らの躊躇なく掴まれんことである。
それを前以て人類に知らせ、悔い改めを私は神に代って勧告するのである。
これぞ神の大愛でなくて何であろう。従ってこれを知った以上、一時も早く頭の 切替えは固より、心の準備に取掛るべきである。そうして審判の最後に到って は、罪深き者は亡び、罪浅き者は救われるのは決定的であるから、これを信ずる ものこそ永遠の生命を獲得すると共に、将来における地上天国の住民として残るのである。そうして主神の経綸の深くしてそのスケールの如何に大なるものであ るか、又現在までの文明が如何に野蛮極まるレベルの低いものであるかを、この著によって充分知らせ、確固たる信念を得させるのである。



『文明の創造』は何故完成しなかったのか(4)

本部です。

前回の続きです。

編集委員が『文明の創造』を刊行しなかった理由を述べ続けていますので、 「メシヤ講座・特選集」を更新いたしましたが、その中に次のように記述しました。

:::::::::::::::::

ここでの問い掛けは学者という立場からのものですので、本来宗教家が宗教体験として得たものの意味、御神業を進める本来的意義、神幽現の実態というものを説明しなくてはならないのです。ところが「教学的に問われてこなかった」などという言い訳めいた文言を重ねているのです。このことが問題点で、そもそも教導する役割を放棄しているのです。そのことをご理解いただくために長い引用になりました。

また、末尾に指摘した「教団のことを真面目に考えていた者は言い訳が続き、そうしたことに無頓着な者は次第に軌道を外れて脱線状態になっても平気な顔をして運営に携わっています。」という内容を導き出すために、大変長い引用になりました。

しかし、このことが理解できていなければ、前回願いとして記述した「信徒というものは、御教えを魂の糧として賢者にならねば勿体ないのです。賢くならねば一人ひとりが真の幸福者とならないばかりか、メシヤ様が課題として示された『宗教の進歩』ということにも繋がらないのです。」ということの答えを見つけ出すことができないのです。

信徒の皆さんが納得できない教団の紛争状況に対する教団側の答えは、絶えず言い訳のような説明ばかりです。何ら得心するものがなく解決に繋がらないものばかりなのです。また、信徒の皆さんの善意による対応に甘え、平気な顔をして運営を続けてもいます。これが実は「ウソの上塗り」が続けられている現象に外ならないのです。

「ウソの上塗り」を絶えず耳にしておりますと、逆に信徒の皆さんへの刷り込みとなり、知らず識らずの内に精神が汚染されてゆくのです。これが最も恐ろしいことなのです。ですから、認識を絶えず新たにしていただきつつ、教団史を冷静に見極めていただかねばならないのです。

:::::::::::::::::

ここでは、編集委員が『文明の創造』を刊行しなかった理由を述べたことについて各論を記述します。

① まず、最初の編集委員が

「 『文明の創造』を完成とみるか、完成していないとみるかですが、まさにそのこと自体が今日まで教学的に問われてこなかったのだと思います。『文明の創造』が発刊されなかったその背景はいろいろあると思いますが、突然、教祖の死に直面したという現実が大きかったと思うのです。当時の信徒にとって、生き神様的存在であった教祖が死ぬとはだれも考えていなかった。また、教祖ご自身も『文明の創造』について具体的に指示されていなかったと思います。

しかし、それが現実化した。そこで大きな混乱が起こってくる。その立て直しに必死だったと思います。そうしたなかで、まず二代教主による「神観の確立」すなわち教学の第一歩があった。しかし、当時の現実は、教祖の死によって教勢が激減し、教団の存続そのものが危ぶまれていたのですから、教学の確立よりも、布教の立て直しのほうが優先されたと思います。そちらに目先が行ってしまって、いつの間にか教学が大きく立ち遅れてしまった。『文明の創造』をどうするかが、忘れ去られてしまった、そういう事情が大きかったのではないかと思います。」

と述べています。「教祖ご自身も『文明の創造』について具体的に指示されていなかったと思います。」の記述は、そもそも『御垂示録』や『御教え集』で『文明の創造』について御述べになられている内容をしっかりと受け止められてなかった、ということを見落としています。つまり、メシヤ様の御神格への認識の無さと『文明の創造』の有する意味そのものを理解できていなかったことを、自らの反省を込めて先ず把握しなくてはならないのです。

次に、「教学の確立よりも、布教の立て直しのほうが優先されたと思います。」と断じていること自体が、布教という概念を履き違えていることになります。布教とは文字通り教えを宣布することですので、御教えを伝える時の、どの御教えかを初めに特定しなくてはならないはずです。また、人間的に遺志を継ぐということを考えただけでも、『文明の創造』の仕上げに辿り着かねばならなかったのです。

② そして、別の編集委員は

「・・・世界救世教のメシヤ教という呼び方も検討されて、昭和32年3月に世界救世(きゅうせい)教に変わるんです。昭和31年から32年の社会情勢というものが、非常に宗教に厳しくなってきた、そういうものが背景にあると思います。昭和31年末には教団の信徒数は四万人を切るくらいになっています。ひとひねりで教団がつぶされるかもしれないという危機感を抱いて二代教主が対応していったと思います。それが二代教主が昇天した37年には信徒数が二十万五千人になり、磐石の教団体制ができます。それにより昭和40年ごろ、『文明の創造』を出版しようという動きがあったんです。当時の藤枝管長が、それまで教主公邸である「碧雲荘」にあった『文明の創造』をコピーして、出版を検討したことがあるんです。しかし当時教団には顧問がいまして、この人が教団の権力を持っていた。その人の反対みたいなものもあって出版できなかった。出版しようという意志はあったんです。」

と述べています。この記述内容はメシヤ様の御精神に直接関わる内容です。メシヤ教という呼称の変更の背景を外圧のためのような言い回しになっています。しかし、これこそが本質を包み隠す表現なのです。メシヤ様の御神格への認識、浄霊力の根源そのものへの探求心、メシヤ様の御精神を求め続ける姿勢の無さがなせることなのです。

しかも、『文明の創造』は他教団の偉大なる先達によって、当時からの作業を通して日の目を見ていることは周知の通りです。

③ 三人目の編集委員は

「・・・布教師はどうしても病気治しが主ですから、活字なんか読みたくないんです。それよりも一人でも浄霊をして、献金が集まればいいという感覚が強かったんです。そのため教えが、ほとんど読まれていない体制下のままで来てしまったんです。・・・」

と述べています。これは布教師に批判を加えた言い回しですが、それでは上意下達がなかったのかという疑問が膨らんできます。離脱教団を生むように教権を振りかざしたはずです。すると、トップが結果的にそのように導いたということになります。そのことへの反省がなければ何物も生まれません。

この点については更に続けて論じてゆきたいと考えています。

『文明の創造』は何故完成しなかったのか(3)

本部です。

前回の続きです。鎌田氏の問い掛けは次のように続きます。

「そうすると、神業が完成していない、ということですか。『文明の創造』というものが、教祖の神業の教えの中心をなすわけですから、教えの中心が自分の生存中に出版されないということは、その神業は完成されていないと見るべきで、メシヤ降誕の祭は何だったんだろうと、疑問を抱かざるを得ません。『文明の創造』の公刊前にそういうことがあるということが、私には理解できません。
『文明の創造』を公刊して、新=真文明の創造、すなわち地上天国実現を世界にも宣言し、教えの芯は確立した、それゆえメシヤとして立つ、ということだとたいへん理解しやすいと思います。」

これに対して教団側編集委員三氏がそれぞれ次のように答えています。

「 『文明の創造』を完成とみるか、完成していないとみるかですが、まさにそのこと自体が今日まで教学的に問われてこなかったのだと思います。『文明の創造』が発刊されなかったその背景はいろいろあると思いますが、突然、教祖の死に直面したという現実が大きかったと思うのです。当時の信徒にとって、生き神様的存在であった教祖が死ぬとはだれも考えていなかった。また、教祖ご自身も『文明の創造』について具体的に指示されていなかったと思います。

しかし、それが現実化した。そこで大きな混乱が起こってくる。その立て直しに必死だったと思います。そうしたなかで、まず二代教主による「神観の確立」すなわち教学の第一歩があった。しかし、当時の現実は、教祖の死によって教勢が激減し、教団の存続そのものが危ぶまれていたのですから、教学の確立よりも、布教の立て直しのほうが優先されたと思います。そちらに目先が行ってしまって、いつの間にか教学が大きく立ち遅れてしまった。『文明の創造』をどうするかが、忘れ去られてしまった、そういう事情が大きかったのではないかと思います。」

また、

「当時の社会情勢も大きな要因があります。昭和31年の新年祭で二代教主は信徒に『今度新宗教の法案改正があるそうでありますが、(中略)うっかり致しますと、新法令の下に縛られまして、肝心な人心改造活動に重大な支障を来したり、又一般世人が宗教を軽視する傾向を招きましては、それこそ国家の一大事であります。真の世界平和は人間各自心の自覚より来るものでなくては真ではありせん。そして、その根底は正しい信仰にありますから、正信を離れて人間の自覚はないと存じます。私共は飽迄も、宗教の神聖と自由を守り、国家が保護を続けてくれるよう、何処迄も要望すべきであります』と挨拶を述べています。

ところが、その同じ1月ある新聞が某新興宗教を糾弾する記事を連日のように載せます。この結果その教団の最高責任者が4月30日に衆議院の法務委員会に参考人として喚問されました。そして、ついに5月から6月にかけて、衆参の法務委員会が文部省の方に、淫祠邪教的なものは解散をさせるように申し出をするんです。その申し出書が、文部省を通じて各宗教団体、都府県知事に通達が来るんです。

そうした矢先の5月に教団が山梨の方で医療問題を起こすんです。それに対して二代教主が、もしこのまますべての御教えを公にしておけば、医療批判、薬害批判などが曲解されて、教祖が世を救うために作った世界救世教そのものが、解散させられるという危機意識を持たれたと思うんです。そういうことから、なんの規制もなく公開されていた御教えを非公開にし、二代教主が許可をしたものを教典として、昭和32年に『天国の礎』が出版されます。
世界救世教のメシヤ教という呼び方も検討されて、昭和32年3月に世界救世(きゅうせい)教に変わるんです。昭和31年から32年の社会情勢というものが、非常に宗教に厳しくなってきた、そういうものが背景にあると思います。昭和31年末には教団の信徒数は四万人を切るくらいになっています。ひとひねりで教団がつぶされるかもしれないという危機感を抱いて二代教主が対応していったと思います。それが二代教主が昇天した37年には信徒数が二十万五千人になり、磐石の教団体制ができます。それにより昭和40年ごろ、『文明の創造』を出版しようという動きがあったんです。当時の藤枝管長が、それまで教主公邸である「碧雲荘」にあった『文明の創造』をコピーして、出版を検討したことがあるんです。しかし当時教団には顧問がいまして、この人が教団の権力を持っていた。その人の反対みたいなものもあって出版できなかった。出版しようという意志はあったんです。」

さらに、

「教祖は単行本、月刊誌『地上天国』や『栄光』新聞に論文を発表していた。まず最初に一冊にまとめたのが『御神書宗教篇』です。そのほか教祖昇天まで出版されていたのが、資格者ご面会の速記録である『御垂示録』。月九回の一般信者対象の面会日に話していた『御教え集』なんです。当時、資格者がそれらを購読していました。ところが布教活動と平行でやることですので、それらを十分読み切るということをしていないんです。

そういうなかで昭和32年ごろの社会情勢が生まれてきて、二代様が「教主教権」による教典編纂ということを言われ、いままで公刊していた『御神書宗教篇』は昭和29年3月に、『御神書社会芸術篇』は昭和30年9月に出版されますが、今後は、二代教主の下に編纂したものを「教典」として公式に使ってほしい。あとのものはみなさんが自分でいただいたものだから、いただいている資格者の人が個人の勉強に活用するのは結構です。ただしそれを信者や一般の人に出すことはしないでください、という二代教主の意向だったんです。二代様が引っ込めたのではないんです。

布教師はどうしても病気治しが主ですから、活字なんか読みたくないんです。それよりも一人でも浄霊をして、献金が集まればいいという感覚が強かったんです。そのため教えが、ほとんど読まれていない体制下のままで来てしまったんです。

『天国の福音書』は教祖昇天の前の昭和29年8月に、『御神書宗教篇』などのなかから、さらに選択して出版したものです。」

こうした遣り取りを目にすると、何故、10年も費やした全集の編集作業と同時進行でメシヤ様の御精神を求めて御教えの集大成に取り組まなかったのか、と、いやそのことに気付かなかったのか、と思えてなりません。

仮に気付いていたとするならば、「体制への攻撃は教団改革するため」という掛け声は名ばかりで改革心が乏しいために断行することができなかったとしか推察することができません。そのため会話の遣り取りが言い訳のように響いてしまいます。教団のことを真面目に考えていた者は言い訳が続き、そうしたことに無頓着な者は次第に軌道を外れて脱線状態になっても平気な顔をして運営に携わっています。これが、三重支部ご指摘の背景事情でしょう。

『文明の創造』は何故完成しなかったのか(2)

本部です。

『文明の創造』の 編纂・校正作業を重ねる中で「岡田茂吉全集」をチェックした話の続きです。三重支部からの「気付き」と関連することです。

編集委員として外部から加わった鎌田東二氏は「地上天国と教祖」の中で教団側の担当者(当時)に次のような質問をしています。

「『文明の創造』を執筆していたのが昭和二六年ですね。しかし、『文明の創造』は完成していなかったために出版できなかったんですか。昭和26年の講話や著作のなかでも、『文明の創造』は私の思想の真髄であって、それができた、と昭和26年段階の講話でくりかえし話しています。それでも出版しなかった一番の理由は何ですか。」
これに対して教団側(当時)の編集委員の一人は「わかりません。」と答えています。この「わかりません」ということを全集の解説部分に掲載したということは、当時の公式見解と見なしたことになり、大変な暴露事項となっているのです。前回「曖昧な返答」と書きましたが、それにしましても正直過ぎる発言です。

そうした返答では当然納得しないと見えて鎌田氏は次のように問い掛けを重ねています。

「『天国篇』が充分できあがっていなかった、ということですか。」

返答は「当時の教団関係者の見解だったのではないでしょうか。」というものです。

鎌田氏は重ねて「教祖の自負心はそうとうなものですから、あれがどうして、著作として出版されなかったのが不思議でしかたありません。」と述べています。

この発言に対して「私は教祖自身がまだ完成していない、もう少し『天国篇』を充実させて、という思いがあったのではと思っています。たしかに『文明の創造』に対する教祖の自負心というのは、ものすごいものだと思いす。これを出すことによって、ノーベル賞をいくつでももらえます、ともおっしゃっていますし、『文明の創造』を出版しようという思いはあったけれども、完成には至っていないということだと思います。」と編集委員の一人は答えています。

この「出版しようという思いはあったけれども、完成には至っていない」という辺りが教団史の中で最も不明な点の一つです。これに対して、外部から問い掛けが続く中で内情が絞り出されるように説明がなされ、今日まで表に出なかった内容がオブラートに包まれながらも明らかにされてゆきます。それは座談ではあっても、全集内に収録されることによって教団側の公式見解と見なされるのです。しかも、いまだ整理されていないことを露呈する形で進められてゆきます。

メシヤ様が進められようとされたと拝される御教えの集大成を実現する願いを前回記述しましたが、集大成ができていないために御神業の方向性が明確にならず「教団改革」が頓挫してしまったり、求心力が生れず「和合」が実現できないで先送りになっているのです。現在の作業を通して統一性と求心性を生み出して参りたいと思います。

『文明の創造』編纂作業を通しての私達の気付き(2)

三重支部です。

『文明の創造』科学篇をチェックしてい話題にあがったことですが、医学の誤りを徹底的に論じておられる『文明の創造』は本来入信すると同時に学び始めることではなかったかと思うのです。

「メシヤ様は医学についてこのように御教え下さっておられるのですよ。御教えに沿った生活ができるよう少しずつでも改めていきましょう。」と。

それが医学批判の御教えを全く掲載しない「天国の礎」を教本のようにし、「天国の礎」しか読んでいない信徒が増えてしまい現在の有様となっているのではないかと。

良く諸先生方は「まだ時期が来ないのだ」ということを言い、問題を片付けようとします。しかし信仰を磨いて時期を感じることができなければいつまでたっても時期はこず、見逃してしまうのではないでしょうか。

『文明の創造』が皆のバイブルとなる日を想像すれば未来の展望が開けるように思います。

『文明の創造』は何故完成しなかったのか(1)

本部です。

研鑚資料『文明の創造(一)』を校了しました。

編纂・校正作業を重ねる中で「岡田茂吉全集」もチェックする機会が増えるのですが、その中で、外部の専門家が疑問を呈していることが「何故『文明の創造』は完成していないのか?」というものです。編纂の担当者と語り合っているのですが、教団側の見解が曖昧なので何度となく問い掛けられています。

研鑚資料『主神様とメシヤ様』の「はじめに」でも触れましたが、メシヤ様が実質的に気兼ねすることなく御発言できたのは『文明の創造』を御執筆になられる時期であります。それまでは慎重な表現を心掛けられていました。ですから、『文明の創造』を通して御教えを集大成されようとなされた、と拝察することができるのです。

外部の専門家も全御論文、全問答形式御教え、詩歌集に目を通す中でそうしたことを感じて問いかけを行なっているのです。

この集大成ということが、『文明の創造』を仕上げるという計画の最大の願いです。『文明の創造』を御執筆になられながら御面会時に御講話されている内容にその全体像が示されていますので、それを拠り所に今後とも着実に歩を進めたいと計画しています。

禁断の木の実

鎌倉支部です。

三重支部さんの「禁断の木の実は薬」の書き込みを読ませていただきびっくりいたしました。実は寸前に私も同じ御教えを拝読させていただいた直後の書き込みでしたので、離れてはいますが繋がっているのだと思わせていただきました。

そして楳木先生が仰られた、『一厘の力』とは、主神様からの御啓示をそのまま実行する者の力なのです。一厘の数と言えども共時性により大転換を生みます。
と言う事が今私たちが日々いただいている浄霊力やご守護を思うとメシヤ様と太く繋がる営みが大切だと心から思わせていただいております。

私の母の話ですが20年以上血圧の薬を飲み続けておりました。そして昨年から膵炎にもなり朝晩とても苦しい日が続いていたようです。
3月より同居するようになりまして、最初は3日に1度ご浄霊を受けると言う具合でしたがみるみる鼻水が出始め1カ月以上緑色の鼻水を出していただきました。
そして気が付くと薬も飲み忘れるようになり並行してご浄霊も自然と毎日受けるような生活リズムが出来て朝夕のご礼拝も自ら進んでさせていただき、今ではすっかりと薬も飲まずに日々元気に過ごさせていただいております。
メシヤ様と太く繋がり始めてわずかの間に大きなご守護をいただき本当に感謝で一杯です。

1人でも多くの方にメシヤ様と太く繋がっていただけるように日々取り組ませていただきたいと思います。

文明の創造編纂作業を通しての「私達の気付き」

三重支部です。

「文明の創造(一)」の編纂作業に関わらせて頂きまして、色々気付かせて頂く
ことがありました。皆さまの学びともなるかと思い投稿させて頂きます。

○「禁断の木の実は薬」について
 
「文明の創造」には「禁断の木の実とは薬の事」と記述されております。

『之に就(つい)ては彼(か)の旧約聖書創生記中にある禁断の木の実の寓話(ぐうわ)である。勿論(もちろん)之は比喩(ひゆ)であって、エデンの園にゐたアダムとイブの物語は、実に深遠なる神の謎が秘められてゐる。それを追々説いてゆくが、之を読むに就(つい)ては全然白紙にならなければ、到底分りやうがないのである。言う迄もなく木の実を食ふ事によって悪の発生である。といふのは木の実とは薬の事であって、薬によって病気が作られ、病気によって悪が発生する。』

キリストを唯一の神と仰ぐ人々にとってこの「禁断の木の実は薬」の話は受け入れ難い内容であるとある先達は述べておられます。世界布教において考慮すべき課題であるということです。

それで気になりまして「禁断の木の実」について御教えを調べておりましたら

一度お書きになられた原稿をよほど訂正してお書き直しなされた内容の中にこの「禁断の木の実」の寓話があるということが『御垂示録』 12号で窺い知ることができました。 とすると、この「禁断の木の実」の寓話をキリスト教への配慮から触れることを避けてしまうと、全くメシヤ様のご意図されたこととかけはなれてしまうのではないかと思いました。

『一厘の仕事をするのが私の使命なのです。(中略)禁断の木の実を食べると人間に悪が生まれる。悪が発生する。悪の発生源というのは薬なのです。薬を人間が使わなくなれば悪がなくなるのです。(御教え集13号)』

と薬を徹底的に無くしたいがためにこの寓話を挿入されておられ、そしてそういう仕事が一厘の仕事であり使命である。と御教えくださっておられるのですから、メシヤ様の御教えを頂いている私達はその御意図を汲み取り『キリストがそこまで説かなかった、ということは、やっぱり時期の関係です。(御教え集18号)』キリストが時期の関係で説かなかったことをメシヤ様は御説きになられておられるのですから、ありのままをお伝えしていくのが私達の使命ではないかと思わせて頂きました。

そしてそれがまた、

【実は、『一厘の力』とは、主神様からの御啓示をそのまま実行する者の力なのです。一厘の数と言えども共時性により大転換を生みます。 】

との「一厘の力について」の先生の書き込みと呼応するのではと思いました。


=============
『御光話録』、発行年月日不明 一〇月二八日

『ーーーアダムとイブが禁断の木の実を食って人類の原罪ができた意味……

これは私ははっきり判りません。私としてのこじつけですが禁断の木の実は薬のことだと思ってます。薬として考えればピッタリ合うんです。』


『御垂示録』一二号、昭和二七年八月二五日

『いま『文明の創造』を、以前に書いたのをよほど訂正して書いてます。病気は、必要があって神様が病気になるようにして、そうして弱らせるようにしたということを書いてます。で、キリストの言った「禁断の木の実」は薬のことで
す。禁断の木の実をもって悪を発生したということが『バイブル』にある。で、薬によって悪を発生したのです。
ですから禁断の木の実は悪なのです。もうその時分に、神様はちゃんと知らせてあるのです。だから、人間から悪をなくするには、薬をなくす……悪の発生は薬によるのです。』


『御教え集』一三号、昭和二七年九月二五日

『そこでポチですが、ポチは一厘なのです。これ(丸)が九分九厘なのです。九分九厘と一厘というのはそういうわけです。で、一厘の仕事をするのが私の使命なのです。いまの社会事業にしろそういった肝腎な魂、それから病気なら薬というような、そういったものですが、いま薬については根本から書いてます。そうすると薬も必要だったということも分かります。キリストが言った「禁断の木の実」ということは薬なのです。禁断の木の実を食べると人間に悪が生まれる。悪が発生する。悪の発生源というのは薬なのです。薬を人間が使わなくなれば悪がなくなるのです。これもいま細かく書いてます。いままでそういうような肝腎な中心だけが隠されてあった。それがつまり夜の世界だったのです。暗闇だったからして見えなかったのです。これはちょっとおもしろいもので、いまのお医者と薬の将来はどうなるかということです。』


『御教え集』一八号、昭和二八年二月一五日

『ですからあらゆる災いも不幸も悪人も、ことごとく薬でつくられるのです。この薬がキリストの『旧約聖書』にある禁断の木の実です。ですから禁断の木の実は薬のことです。それを詳しく書きました。そうして神は悪をつくり不幸をつくり人間を弱らせて文化を進歩させたのです。これが根本的なものです。ところがキリストがそこまで説かなかった、ということは、やっぱり時期の関係です。』


『御教え集』一八号、昭和二八年二月一五日

『それはいま私は『文明の創造』の本に書いてますが、人間に苦痛を与えて、その苦痛から脱却しようとするそれが物質文化の進歩になっているのです。それは神様が物質文化を進歩させるためにとった手段であったので、しかたがないのです。それで『旧約聖書』にある「エデンの園におけるアダムとイブが禁断の木の実を食べ始めた」ということは、禁断の木の実というのは薬のことです。それまでは薬は人間にははいってなかったのです。エデンの園みたいなものだったのです。しかしそれでは物質文化を発達させることはできないので、禁断の木の実を食べさせて体を弱くして、それによって物質文化が発達したのです。』


『御教え集』一八号、昭和二八年二月一五日

『いまここに書いているほかのことは、悪の発生ですが、これはキリスト教のほうなどでは、『旧約聖書』の創世記にある「エデンの園におけるアダムとイブが禁断の木の実を食べた。それで禁断の木の実を食べると悪が発生する」と書いてありますが、禁断の木の実というのは薬のことなのです。それでその時分は薬をのまなかったために世の中はエデンの園のような楽園だったのです。それで禁断の木の実によって悪を発生させて地獄の世にされたのです。それによって今日のような物質文化が発達したので、これは神様の経綸であって、それは必要だったのです。それで薬のない時代のエデンの園というと、ミロクの世と同じようなもので、まあミロクの世です。その時分は文化というものはぜんぜんなかった原始的なミロクの世だったのです。』

==============

数字の奇蹟

三重支部です。

「文明の創造(一) 総篇」の編纂作業をしていて不思議なことがございましたのでお知らせいたします。

当初、「文明の創造(一) 総篇」のページ数が51ページとなりましたので、「先生の『はしがき』記載用に2ページ分空けておきます。それで53(いづのめ)ページになりますね。」と今回は『はしがき』を入れる予定ではなかったそうなのですが、急遽『はしがき』を執筆して頂きました結果、仕上がりが56ページになってしまいました。53(いづのめ)にならなかったなあと少々残念でした。

ところが、最終のワード編集版のファイルデータを先生お送りする時に目を疑いました。ファイルサイズが369Kb(キロビット)となっていたのです。

『はしがき』を入れていなかった時のサイズが243Kbでしたので、ページ数が3ページ増えて56ページになりましたが、その結果ファイルサイズが369(ミロク)Kbになったということです。

1kbは全部ひらがなとすると1024(バイト)/2(バイト/文字)=512(文字) だそうで、369Kbは512×369=188928文字になります。
(注)実際の文字数は20283文字(全角+半角)でした。上記はデータ量的にと解釈して下さい。

ページ数は人間が意図的に増減できますが、19万文字(ひらがな換算)もの文字数を369Kbには人間が操作しようとしてできるものでもありません、(何しろルビも相当つけております)『参拝者の数が567人だった。数字というものの働きはまことに軽視出来ないものがある。』との御教えを思い出し、感動した次第です。


【御教え】
又しても奇蹟 『救世』五十七号、昭和二十五年四月八日

去る三月二十五日は、五六七大教会年次大祭の三回目の初日であったが、当日の参拝者五百六十七人という数字が出たので、これを知って驚かぬ者はなかった、神様は時々想いもつかない奇蹟を御見せ下さるので、如何なる事でも自由自在な御力を揮わせられるのが分るので実に驚歎の外ないのである、斯様な素晴しい神様の下僕たる吾等の多幸を思う時、感激せざるを得ないのである。
 忘れもしない、昨年の五六七大祭三日間の玉串料五拾六万七千五拾円という数字が出たので、一驚を喫したのである。
 由来、数字というものの働きは洵に軽視出来ないものがある事は、信者はよく知っている事であろう序でだからメシヤの言霊を数宇的に解釈してみるがメシヤのメとはムで六である、シは四で、ヤは八であるから、合計十八になる、十八は五六七、三六九とどちらも合計十八で、観音様の一寸八分も同様である。



『文明の創造』に答えがある


本部です。

現在、『文明の創造(一) 総篇』の校正を三重支部の方々に取り組んでいただいて います。当初考えていたよりも作業しなくてはならない事項があり、大変手間をお掛けしています。そのこともあり、何時もスピーディーな「メシヤ講座・三重」のアップも遅れています。

以前にも申しましたように、 岡田茂吉全集では文面を 現代仮名遣いに変更していますが、漢字については旧字体の方が意味が解り易いという利点があ ります。そのため、 漢字は旧字体のままにしてルビを現代仮名遣い で使用することに致しま した。また、校正不十分のためにルビの使用 法が不徹底であることも判明いたしました。

そこで昭和59年当時に「教学委員会」がまとめていた論文集(未定稿)を採用することにしました。その上で、現代人には読み辛いと思われる 漢字にはルビを加えました。三重支部の方々には非常に細かい作 業を幾度も重ねていただくことになってしまいました。担っていただ いている方々に感謝致します。

私も校正に取り組むことで、結果的に繰り返し拝読することになり改めて深い学びが許されています。

今月ある方よりアメリカ布教の初期から今日までの変遷を伺いましたが、 鎌倉支部よりもそれに関する書き込みをいただきました。この度の作業を通して、世界布教を進める答えが『文明の創造』にあることを再確認しました。

当然だとは言われるでしょうが、素晴らしい御論文です。「夢物語」の第二弾を次の「メシヤ講座・特選集」で掲載する予定ですが、そこに答えの一部を明らかにしたいと考えています。

どうぞ『文明の創造』を仕上げる作業の第一段階である『文明の創造(一) 総篇』上梓を楽しみにしてください。また、三重支部の方々、校正作業を宜しくお願い致します。

御論文の収録方法


本部です。

三重支部での作業、ありがとうございました。「寒冒」はこちらの変換ミスです。また、神経痛とリョウマチスは目次と本文の付け合わせの作業で「―」を消し忘れたもので、こちらもミスです。
大要は解りました。ありがとうございました。

改めて論文集を確認してゆくと、昭和27年度として収録された御論文の冒頭は『年頭の辞(栄光137号、昭和27年1月1日)」で、次は『左記の論文は文明の創造中から、新春に相応しいものとして載せたのである。』として『天国篇』及び『ミロクの世の実相』が同号、同日付で収録されています。

こちらは定稿扱いにして、『文明の創造』そのものは未定稿扱いですので、矛盾する収録方法をとっています。

その次が『地上天国に就て』、そして管理人ご指摘の御論文が収録されています。『文明の創造中の一節である。』と但し書きがあるにも拘らず、こちらを文明の創造の中に何故入れられてないのかも疑問の残るところです。

『序文』は、定稿の中に同様の扱いで収録されていました。表現がかなり異なる部分がありますので御推敲をされているのでしょうが、その御意図も求めなければなりません。

また、全集を見てゆくと、かなり現代仮名遣いに文章を変化させております。そのようにすると、「原本のまま」とはならず、その瞬間から文責が生じます。そのため、 どうしても外部の識者と認識されている専門家を作業に入れて責任の分散化を図ろうとします。そう すると、次は信仰面が希薄になってしまいます。難しい問題です。

一方、『此(この)論文は文明の創造中の一節である。』という但し書きがあり『九分九厘と一厘』とされている内容を改めて確認しますと、驚くことに『いつも言う通り今や夜が終り、黎明期に一歩入った現在であるから軽く済み、予定通りの進展を遂げつつあるのである。』と記述されています。メシヤ様の昭和27年1月9日時点の時代認識が明確に述べられています。

また、本文中では科学の真相、とりわけ医療、農業の欺瞞を指摘され『茲(ここ)で別の意味からみれば、神の力は十全であり、邪神の力は九分九厘であるから、神の方が一厘勝っており、此(この)一厘の力を以て掌を反すので、此(この)力こそ如意宝珠であるから、私が常にいう如く、現代文化は九分九厘迄で切替えとなり、其(その)時がキリストの言われた世の終りであるという訳である。従って、此(この)力こそ霊界に於ては仰天動地の一大異変が起るのは必然で、此(この)事を信じ得る人にして、永遠なる幸福者となるのである。』と明言されています。

『永遠なる幸福者』という御言葉が輝いており、この場のテーマにピッタリである、と感動した次第です。作業に取り 組むほどに感動が度重なります。

文明の創造の収録順他について

三重支部です。

書籍版「岡田茂吉全集」と照らし合わせました。
【  】内が異なる箇所です。
*********************************

総篇
序文、既成文化の謬点、天国建設の順序と悪の追放、悪と守護霊、悪の発生と病、健康と寿命、救ひ主と贖罪主、地上天国

科学篇
病気とは何ぞや、病気と医学、医学の解剖、病気とは何ぞや―感【寒】冒、肺炎と結核、肺患と薬毒、結核と精神面、自然を尊重せよ、結核と特効薬、栄養、
人間と病気、無機質界、霊主体従、薬毒の害、心臓、胃病、

主なる病気【(一)】、―腎臓病と其他の病、【主なる病気(二)―】

【 】内が記載されていません。

肋膜炎と腹膜炎、喘息、肝臓・胆嚢・膀胱の結石、【―】神経痛とリョウマチス、

【神経痛とリョウマチスは前項と同見出しレベルです。】

上半身の病気と中風、脳貧血其他、―睡眠不足、―耳鳴、―其他のもの、―扁桃腺炎、口中の病など、下半身の病気と痔疾、婦人病、小児病、総論、手術、薬毒の種々相、人形医学、擬健康と真健康、
種痘、【―入信四ヶ月で天然痘治癒した喜び(本文省略)】
【以下省略となっており体験談の題名は記載されていません】

宗教篇
最後の審判、霊的病気、―癌病、―結核と憑霊、―精神病と癲癇、唯物医学と宗教医学、霊界に於ける昼夜の転換、仏滅と五六七の世、仏教の起源、伊都能売
神、観世音菩薩、彌勒三会、仏教に於ける大乗小乗、キリスト教、善悪発生とキリスト教、経と緯

天国篇
―ミロクの世の実相

(大見出し、中見出し、小見出しに分けて構成されており、「―」を付けた題名は小見出しです。目次ではこのようになっているものの、本文中では「天国
篇」は中見出しになっています。なお、文創は昭和27年とされています。)

【天国篇は大見出しになっています】
【昭和二十七年 『文明の創造』了】となっています。

=======================
「文明の創造」の項ではないのですが、全集を見ておりましたら、
「栄光」百三十八号、昭和二十七年一月九日に『九分九厘と一厘』という御論文がありました。この冒頭に 此論文は『文明の創造』の中の一節である。との
記述があります。ところが文明の創造の論文にこの御論文名は見当たりません。

また、「序文」ですが、「栄光」百七十号、昭和二十七年八月二十日に「私は目下『文明の創造』なる大著述をかきつつあるが、其予告として序文を此欄に載せる事にした。」との前置きがあり「序文」が掲載されていますが、若干表現が異なります。
こちらでは、最後に「そうして主神の経綸の深くして、其スケールの如何に大なるものであるか、又現在迄の文明が如何に野蛮極まるレベルの低いものであるかを、此著によって充分知らせ確固たる信念を得させるのである。 一九五二年八月 箱根の寓居に於て」
との記述があり主神様の御経綸との表現が用いられています。

以上

『文明の創造』の収録の仕方について

本部です。

これまでオカモで書き込んでいましたが、座談会の名称が決定し方向性も
整ってきましたので本部として書き込みます。

御論文『文明の創造』を仕上げる作業を打ち出しましたが、信者さんの中
には御論文そのものを拝読したことがない方もいらっしゃいます。そこで、
まず次の研鑚資料から『文明の創造』を各篇ごとに上梓してまいりたいと
考えます。皆さんに学びを深めていただきつつ仕上げの作業を進めること
が良いと思われます。

昭和59年当時のMOA研究所及び世界救世(きゅうせい)教教学委員会が
まとめた「論文集」では、 御論文の内容が下記の順番で収録されています。

これまで、様々な先達に よって整理されたものでは順序が多少変わっており
ます。三重支部で 書籍版「岡田茂吉全集」と照らし合わせていただけないで
しょうか。

*********************************

「論文集(未定稿の部)」に収録された『文明の創造』

総篇
序文、既成文化の謬点、天国建設の順序と悪の追放、悪と守護霊、悪の
発生と病、健康と寿命、救ひ主と贖罪主、地上天国

科学篇
病気とは何ぞや、病気と医学、医学の解剖、病気とは何ぞや―感冒、
肺炎と結核、肺患と薬毒、結核と精神面、自然を尊重せよ、結核と特効薬、
栄養、人間と病気、無機質界、霊主体従、薬毒の害、心臓、胃病、
主なる病気(一)、―腎臓病と其他の病、主なる病気(二)―肋膜炎と
腹膜炎、喘息、肝臓・胆嚢・膀胱の結石、―神経痛とリョウマチス、
上半身の病気と中風、脳貧血其他、―睡眠不足、―耳鳴、―其他のもの、
―扁桃腺炎、口中の病など、下半身の病気と痔疾、婦人病、小児病、
総論、手術、薬毒の種々相、人形医学、擬健康と真健康、種痘、―入信
四ヶ月で天然痘治癒した喜び(本文省略)

宗教篇
最後の審判、霊的病気、―癌病、―結核と憑霊、―精神病と癲癇、唯物医学と
宗教医学、霊界に於ける昼夜の転換、仏滅と五六七の世、仏教の起源、
伊都能売神、観世音菩薩、彌勒三会、仏教に於ける大乗小乗、キリスト教、
善悪発生とキリスト教、経と緯

天国篇
―ミロクの世の実相

(大見出し、中見出し、小見出しに分けて構成されており、「―」を付けた
題名は小見出しです。目次ではこのようになっているものの、本文中では
「天国篇」は 中見出しになっています。なお、文創は昭和27年とされて
います。)
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