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御神名について(8)

本部です。

久しぶりにこの表題で書き込みを致します。鎌倉支部の書き込みに関連する内容でもあります。

「地上天国祭」以降、メシヤ様を教祖と仰ぐ教団で専従をされていた方や、それらの教団に何度か専従する機会に恵まれながら奉職しなかった方など、資格者をはじめとする多種多様な方々とメール及び面接、電話で頻繁に遣り取りをしています。

専従をされていながら退職せざるを得なかった方は、組織論の犠牲となり本来の信仰を求めるが故に問題視されてしまい、離職を余儀無くされたというものです。また、そうした話題に触れる機会があると「実際には自殺者まで出ているのが現実です」と指摘する方もいます。

専従の機を逸した方は、不思議な巡り合わせと言うしかない状態で他の道を歩んでしまったのです。既専従者の姿を通し組織上の問題を推測して、本来の御神業推進に没頭できない旨を感得したからのようです。

痛感することは、御神格に関わることが不明瞭であったことに起因して、組織論の犠牲になったり、疑問が生じたりしていることです。何故かと言いますと、御神格への認識が低ければそれに相応した信仰態勢しか築けませんし、宗教性も時の推移と共に希薄なものとなるからです。宗教の世界は何時も述べているように、目に見えない世界を相手にしています。中でも主宰神の御神格こそが要めなのです。御神格が最高最貴であれば、そこへ人為的な要件を持ち込むことはできませんが、低級であれば、相応に持ち込むこともできます。当然なことながら、この点が曖昧なままですと、人間が努力すべきことも曖昧になってしまいます。

つまり、三重支部から提供された『みくらたなの神様』に関する資料の『天上の王権の象徴(シンボル)』『五十音言霊図』『暦』『生命の大本源』『大御神の大宮殿』という内容を基にして信仰態勢を構築することが肝要なのです。

『天上の王権の象徴(シンボル)』からは覇権主義ではなく徳によって治める世界への希求が課題となりますが、教団紛争そのものがそのことを理解できていないことを意味します。また、『五十音言霊図』に対しても、教団紛争において“ウソの上塗り”が繰り返さえされたことから全く理解不能であったことがお解かりのことと思います。更に、『夜昼転換』という歴史観、『霊主体従』という世界観、生命誌的人間観、地上天国の雛型へと、一つひとつの構築がなされるべきであったのです。それ故、『文明の創造』を仕上げる意義がより鮮明になってまいりました。真理の解明となり、人々の救いへと繋がるからです。

これは私が自らの目で見てきたことから判釈できる内容ですが、メシヤ様御昇天時に専従者していた親を持つ方にお会いすると更に延長線上で考えることができます。当時かなり教会を転々とする支部長が多かったようです。この理由も上記同様で、御神格に関わることが曖昧にされたままでいたために人為的なものが色濃くなり、結果的に“どの教会長がメシヤ様の示された本来の御神業を推進しているのか”に焦点を向けざるを得なかったようです。求道心が旺盛な方ほど“よりメシヤ様の御心に適う道”を模索したようです。

しかし、これも御神格に関する内容に曖昧な部分が存在したために、教化の組み立てができずに生活指導も教会ごとにまちまちであったことを示しています。その後一元化がなされて統一化と構築化がなされる期待が持たれましたが、組織論のみが全面に出て、方針も社会性という謳い文句とは裏腹にやがて稚拙なものとなってしまいました。ただし、打ち出される方針が稚拙なものであっても、社会性のある信者によって支えられることによって事が推移された面もありますので、トップの志が低いとそれで良いと見てしまう結果を招いてしまいました。

様々な心ある方とお会いすると、因縁使命に基づいて本来の在り方を求める形に結集しているように受け止められました。
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御神名について(7)

本部です。

メシヤ様御在世当時に『みくらたな』の神様という御神名は側近に明かされた由ですが、どの程度の人にまで知ることが許されたのかは定かではありません。また、知ることができた人が「天上の王権の象徴(シンボル)としての御頸珠(みくびたま)」と同義でもあるという内容に基づいて神界の秘儀をどのように捉えるに到ったのか、というところが大きな関心事です。

一方「メシヤ講座(7~8月開催)」では、 「御神名のことを知っている」という反応もあった旨お伝えしました。それ故に「知った人間はどうあるべきか」ということを考えさせられました。前回書き込みのような変化が続いているからです。

以前「三重支部」の方から資料を提供してくれた中に

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このご神名については、古事記に次のように出ています。

「あは子生み生みて、生みの終(はて)に三はしらの貴き子得たり」とのらして、すなわちその御頸珠(みくびたま)の緒も、ゆらに取りゆらかして、天照大御神賜ひて詔らししく、「なが命は高天の原を知らせ」と事依さして賜ひき。かれ、この御頸珠(みくびたま)の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。

伊邪那岐命は、天上の王権の象徴(シンボル)としての御頸珠を天照大御神に授ける。稲妻の表象でもあった。その珠の名を「みくらたなの神」とよぶ。天照大御神には高天の原の領有支配者になると同時に穀霊としての性格が付与されることになった。
(古事記 新潮日本古典集成 新潮社 より引用)

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という部分がありました。

この内容をメシヤ様御在世当時の先達はどのように捉えたかということです。仮に、覇権主義的によってこれを捉えたならば、その勘違いによって教団紛争を起こす火種になるでしょう。 『徳によって治める』『絶対平和主義』ということが脳裏に浮かんだならば、御法難という不祥事を起こした信仰姿勢を挙(こぞ)ってメシヤ様にお詫び申し上げたことでしょう。

浄霊の奇蹟を目の当たりにすればメシヤ様の御神格は明確であるに関わらず、教団紛争が繰り返され現在まで真の和合が実現しないでいる事象を見つめると、前者の捉え方をしているとしか思えません。そうすると、やはり 「知った」「知っている」ではどうにもならないところがあります。知った上で、いや知ったということはそのこと自体「使命に基づいて知らされたのだ」と受け止めなければならず、どのような行動をするのかが重要なのです。意味を求め行動に移さねば、地上天国建設を設計図通りに進捗させることになりません。

順に思考を重ねてゆくと「勿体ない」と思うばかりです。メシヤ様の御神格は60年も前に明確に明かされており、素直にその認識に立ちさえすれば絶大なる御力をいただくことができるからです。

幸福への扉は、自らの認識と行動によって一段と開かれるのです。

御神名について(6)

本部です。

御神名を明らかにさせていただくことにより、メシヤ様の御神格に対する認識が更に明確になり、想念の高まりと深まりを得ました。その認識の変化と呼応するように私自身をはじめ各地で変化が起きています。

私自身については、47年前の薬毒を溶解していただいた内容を各地の「メシヤ講座」で報告しました。詳細は「メシヤ講座・三重」で逸早く掲載していただいています。

信徒の皆様の上に起きている様々な変化の代表例は、「枚方支部」仮発会式で参拝者がいただいた御守護です。こちらは「メシヤ講座 大阪(松原勉強会)」で掲載していただいています。

また、「枚方支部」仮発会式では、『御神霊が天下る場所というのは、神様御自らお決めになる』ということを改めて強く思わされました。このことは「三重支部」発会の折に報告されていること併せて受け止めると、より理解しやすい内容ですが、やはり神様のお仕組は絶対的なものであることを痛切に思い知らされます。

というのは、枚方市で支部発会が決まる前には八尾市に九割方決まって改装の準備も進められていたのですが、ある事情で支部として使用出来なくなりました。そのため他を当たっていたところ枚方市に良い物件があり、幸いにも改装の必要もなく直ぐに決まったのです。ところが、枚方市という土地を考えてみると昨年候補に挙がった場所でもあったのです。その時点では一旦流れたのですが、今回支部仮発会に到り、『神様が御神業をお進めになる場所として決められていた』ということを強く認識させられたのです。神様がお決めになったことは変更できないのである、と支部仮発会式をさせていただく中でしみじみと思わされました。

この話は、広島支部でもあったことです。広島支部が発会する前年に、広島市に候補が上がったのです。その時もある事態の影響で流れてしまいました。しかし、他の人の決断により支部発会が広島の地で許されました。御神霊が天下る地は神様の方でお決めになり、人間の方では願いとして思わされるのです。また、神様から御指名があるのですが、決心した者に任が降るのです。メシヤ様の追体験を目指すことで、より判らせていただきます。私達はその一連のお運びを恐(かしこ)んで拝さねばなりません。

そして、重複しますが、それは人間の決心と共に進展いたします。神様の御意図に沿って因縁使命を自覚しつつ御神業にお使いいただける自分づくりに努めたいものです。

御神名について(5)

本部です。

この度の御神名の公開の意図するところを 「メシヤ講座・特選集」と前回までの書き込みを通して、その主眼としているものは「遥か高位の御存在を自らの場に降ろして考えることにある」ということをご理解いただけると思います。

『天上の王権のシンボル』という解説も加えましたので、私達の生活からは遥かに遠く高い御存在という感覚が生じて、御神名を今明かすことが何故重要なのかという疑問も湧いてきます。実際には「メシヤ講座」で率直な感想として語られもしました。しかし、公開を通して大きなうねりが生じていることも事実です。

誠とは言ったことを成すと書きますが、良くも悪くも言ったことが実現する時を迎えたようです。本日送信した資料も、その現われの一つであろうと推察できます。

また、御神業の要には薬毒論がありますが、これは精神戦争の様相を呈します。神経戦と申しても過言ではありません。人は易きに流れますので、薬毒に気付いても気を抜くと何時の間にか元の木阿弥になる危険性を孕んでいます。あれほど力強く薬毒論を説いていた幹部が、薬毒を入れてしまうという悲劇をよく見聞きします。教団浄化も、薬毒を入れた者が惹起させ、その者たちが今も引き摺っています。

7月は私も身を以て薬毒の恐ろしさを知らされました。47年も前の消毒薬が出されるという浄化を激痛と共に許されたのです。詳しいことは今月のメシヤ講座でお話したいと考えています。

大きな時代の転換期と共に、本来の御神業推進の時を迎えていることを痛感する毎日です。

御神名について(4)

本部です。

天上の王権のシンボルである御頚珠は装身具的なものではなく、『ミクラタナの神様』と申し上げて主神様の神御魂そのものであります。だからこそ、メシヤ様は『最高最貴』と敢えて仰られたのです。このことを知り得てこそ、勘違いや取り違いを起こすことのない信仰ができるのです。

さて、ここでいよいよ、昭和29年6月15日の「メシヤ降誕仮祝典」に何故「仮」を付けられたのかという推論に臨みたいと思います。

解答を得るために、 時系列をもう一度整理いたしますと、昭和元年の御啓示によってメシヤ様は御自らの腹中に光の玉が存在することを御自覚されました。大本教時代から他の誰よりも奇蹟が顕著であった理由を再確認されたことと拝されます。

それ以後、御啓示の検証を重ねられると共に光の玉が絶対的な救済力を発揮されるという確証をお持ちになります。救世主の任を担う御決心を固められたメシヤ様は、昭和6年6月15日『夜昼転換』の御神事に臨まれます。この際、天照皇大御神様を迎えられて日枝神社に御鎮座申し上げました。

この御神事を契機にして絶対的な救済力は浄霊法という形に整えられます。そして、浄霊力の伝授方法を確立されて昭和10年御立教になられます。

御立教後も御苦労を重ねられますが、その極みである御法難に見舞われた際の昭和25年6月15日、光の玉に神御魂が御宿りになられます。この神界の秘儀により、それまで神示をいただきつつ御神業を推進される御立場から神人合一の御境地に立たれます。

その過程で信徒が浄霊を取り次いでいただいた奇蹟の数々は、それ等一連の繋がりが真実であることを裏付けするものです。それなのにです、昭和29年6月15日の「メシヤ降誕仮祝典」に「仮」を付けなければならなかった。この式典は、本来昭和25年に執り行うべきものです。しかし準備が整わなかったために4年もずれ込んでしまった、と受け止めなければ理解のしようがありません。準備が整わない最大の理由は弟子達の信仰の境地のことです。『御神格に異論を差し挟む』という一言に帰する訳です。

「仮」を付けられ「本祝典」への思いが高まれば・・・、と考える推論です。昭和30年3月3日の「メシヤ会館」の竣工に併せて「メシヤ降誕本祝典」を執り行う予定になっていた訳ですから。「メシヤ様とお呼び申し上げさせてください。」と弟子達一同平身低頭でお願い申し上げれば・・・、と考える推論です。

私達が現在ただ今「メシヤ様」とお呼び申し上げて絶大なる奇蹟を日々いただいていることの幸せを改めて噛み締めるところです。この度、奇蹟の背景を深く認識することができましたことは、求道者としての宝をいただいたことであり、自らが更なる探求に努めつつ御縁のある方々へ宣べ伝えてゆかねばならない使命を有するものです。一段と堅い誓約を胸に膨らませました。

御神名について(3)

本部です。

メシヤ様の御啓示は、私達のレベルでは初めて浄霊を知った時であり御教えに触れた時である、と置き換えることができます。また、メシヤ様の御決意は、私達のレベルでは浄霊力を拝受した時である、入会をした時である、と置き換えることができます。私達の『夜昼転換』は先祖の導きでメシヤ様に出会い、自らの神性の輝きで浄霊を取り次ぐ決意を固めた時に実現した、と言っても良いでしょう。

ただ問題は、メシヤ様のなされた御啓示の検証と弛まぬお取り組みに近付く私達の姿勢です。これは、『メシヤ降誕仮祝典』に「仮」を付けられた理由に繋がると思われるところです。これから述べることは、「『文明の創造』は何故完成しなかったのか」と合流して考えねばなりません。問いかけた鎌田氏の「神業が完成していないということですか」に対する答えと関わってくるからです。

前回冒頭の「御神格に異論を差し挟む・・・」というお言葉は、裏返すと御在世当時、異論を差し挟む者がいたということですね。ほんの数人以外はメシヤ様の御神格も本来の御神業も理解していなかったことになるのでしょうか。大変な文言です。「完成していない」のは弟子達だったのです。

これは、偉大なる浄霊力に出会い、弛まぬ取り組みを目指す中で勘違いや取り違いが生じたことから起きることです。メシヤ様は教祖になるべく御啓示までありとあらゆる御苦労を重ねられています。

個人としては『婦人病以外の全ての病気を体験した』という程の罹病を経験されています。家庭人としては最初の妻子を失ったことをはじめとして大変なご苦労を重ねられました。事業家としては大成功を収められますが、新聞社創業のために株に手を出し大借金を背負うことになります。客観的事象としては、そうしたことを重ねられながら教祖になるための準備をなされました。その過程から教祖となられても一貫されたことは『可能な限り全人類を救済する』という御悲願です。

その御悲願の行為化が浄霊です。私達が不断に行使させていただいているものです。しかし、この霊の行使はメシヤ様からのものであり、私達からのものではないのです。 この一点から寸分でもズレれば、大変な勘違いを生じます。取り違いをしてしまいます。それが「御神格に異論を差し挟む」背景です。

メシヤ様の一貫された御悲願に対して御腹中の光の玉が存在し、その光の玉に神御魂が宿られたことで、地上天国建設の推進ができるようになられたと拝することができます。それ故に『文明の創造』御執筆に着手された、としか考えられないということが、時系列で拝されることです。

御神名について(2)

本部です。

御啓示から『メシヤ降誕仮祝典』までの繋がりは、神界の秘儀、天上の王権のシンボルに全て関わっております。ミクラタナの神様の御降臨が解ればメシヤ様の御神格に異論を差し挟むことなど出来ない旨の話をされた井上茂登吉先生のお言葉通り、信仰形態を揺るぎないものにさせていただけることになったのです。この上なく拝賀奏慶すべきことであり感謝に堪えません。

またこの喜びは、私達に通ずる法則を見い出すことにも繋がります。

何故なら、メシヤ様の御神格 に関わる秘儀を時系列に拝させていただくと、メシヤ様の御姿勢と御決意、弛まぬ御行動 に伴って執り行われていることを感受できます。

つまりはメシヤ様によって『夜昼転換』が実現し、地上天国建設の手引き書が示されたのですが、メシヤ様が御啓示を受けられてから御啓示内容の検証に5年余を掛けられ、御決意を固められることにより『夜昼転換』が実施されました。そして、それは天照皇大御神様をお出迎えすることでした。その御事から浄霊法の確立へと繋がりました。慎重ではあられましたが、一度決めたら決心が揺るがないことを意味します。そのメシヤ様の弛まぬ御神業推進により光の玉におみたまが宿られメシヤ様という御神格にまで御出世されました。

信仰形態とは、このメシヤ様の御姿勢、御決意、弛まぬ御行動を追体験させていただくことに外なりません。メシヤ様の御言葉『いよいよの時、初めて諸々、浄まった者それぞれに因縁通りに諸々の御用を申しつける。神格をいただける者もいる。その人によって御用は変わる。』に照らして、追体験は私達のレベルで神格を有することへの道を唱導していただけるものなのです。

御神名について(1)

本部です。

三重支部から報告された資料は非常に貴重なものです。そして、この資料を参照することにより御経綸の深奥に一歩近づく足掛かりを得ることができます。何度かに分けて補足してまいります。

まず、 ここで重要視される内容は、天上の王権のシンボルとしての御頸珠(みくびたま)の御存在です。

この神界の秘儀を明らかにしなくては「地上天国祭」の由来も理解できません。過去、「昭和6年6月15日に房州鋸山で『夜昼転換』の啓示を受けられた」という教えられ方で来たために、私自身もそのように受け止めてまいりました。しかし、お蔵入りされていた御教えに出会う中で「メシヤ様は『夜昼転換』の神事に臨まれた」と拝することが出来るようになりました。そのため、それ以後の説明は「啓示を受けた」のではなく「神事に臨まれた」ということに変更をしました。

一方その時点では、同時に、次なる疑問が生れていました。それは、天照皇大御神様をお迎えし日枝神社に御鎮座申し上げたのはどういう意味か、ということです。そして、昭和29年6月15日に執り行われた「メシヤ降誕仮祝典」において、メシヤ様に真向かって「天照皇大御神守り給へ幸倍給へ」と唱えられた理由についても解答を得ることが出来ずにいました。過去の御神名と異なるからです。数年前に「みくらたな」の神という御神名を知り得ることは出来ましたが、明確にメシヤ様との繋がりを見い出すことが出来ずにいたのです。

その疑問が氷解したのが、この度の「メシヤ様お出ましの夢物語」からの思索なのです。その恩恵によって、昭和元年の御啓示、昭和6年の御神事、昭和25年の 御秘儀、昭和29年の「メシヤ降誕仮祝典」が全て繋がったのです。

みくらたなの神様

三重支部です。

地上天国祭において代表より極めて重要な内容のお話がありました。

『ここで言いたい事は現在の私である。それは静岡事件の際留置所の中で、頗る神秘な神業が行われた事はいつか話した事があるが、その時私の体内に入られたのが最高最貴の○○○○○の神様であって、出所早々散花結実の書を千枚かいて主なる信者に頒ち与えたのも、その時の経綸によったのである。
 神様と私との関係 「地上天国」五十七号、昭和二十九年二月ニ十五日』

の○○○○○の神様とは 『みくらたなの神様』であるという内容でした。

このご神名については、古事記に次のように出ています。

「あは子生み生みて、生みの終(はて)に三はしらの貴き子得たり」とのらして、すなわちその御頸珠(みくびたま)の緒も、ゆらに取りゆらかして、天照大御神賜ひて詔らししく、「なが命は高天の原を知らせ」と事依さして賜ひき。かれ、この御頸珠(みくびたま)の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。

伊邪那岐命は、天上の王権の象徴(シンボル)としての御頸珠を天照大御神に授ける。稲妻の表象でもあった。その珠の名を「みくらたなの神」とよぶ。天照大御神には高天の原の領有支配者になると同時に穀霊としての性格が付与されることになった。
(古事記 新潮日本古典集成 新潮社 より引用)

御倉板挙(みくらたな)の神様については、五十音言霊図であり、恒天暦、太陽暦、太陰暦であり、生命の大本源であり、大御神の大宮殿であり・・・

ネットで調べると多種多様の解釈がありました。

○かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。
御倉板挙とは御厨(みくりや)の棚(たな)の意です。天照らす大御神の知しめす食物といえば言霊のことです。それを並べておく棚という事で五十音言霊図の事であります。天照らす大御神が父神、伊耶那岐の命から授かった御頸珠とは五十音言霊図、またはその原理だ、という事となります。

○本居宣長は『古事記伝』にて「御祖神の賜いし重き御宝として天照大神の御倉に蔵め、その棚の上に安置奉りて崇き祭りたまいし名なるべし」と言い、板挙とは「板を高く架挙て物置く所に構うる故に如此書けるならむ」と説明する。

○この御頸珠をお授けになったというのは、いわゆる御倉板挙の神、すなわち恒天暦、太陽暦、太陰暦をお授けになったのであります。

○ 伊邪那岐神の御頸珠は、万神万生万有のありとあらゆる一切が貫かれている所の大連珠であって、玉緒(即ち生命)の大本源である。一切はこの玉緒に連なって生かされているのである。顕幽両界を通貫して、無限小から無限大に至る一切を、至慈至愛至護をもって生かしている根本生命なのである。

○御倉板擧神のミクラタナのタナとは、天文(天体の諸現象)という義である。タナバタ(七夕)という言葉も、タナ(天体運行)ハタ(機織り)であって、天体の諸星が縦横に運行して、ちょうど機織りのような状態であることから来ているのである。天体のすべてが一連の玉繕に貫かれて、縦横無尽に自在に運行して、美しい機織りの姿をとっている大境界、即ち大御神の大宮殿を指して、ミクラタナというのである。

私は「50音言霊図・原理」と、暦(太陽の運行)ということが気になりました。6月度のメシヤ講座・三重で繰り返し言霊に関する話題が出ました。また、2、3ケ月前に日室岳のことが話題になり「伊勢の二見-伊勢神宮-元伊勢が一直線に結ばれる。夏至の日、二見から登った太陽は元伊勢日室岳の真上に沈んでいく。」ということが話題にのぼりました。そこで、地上天国祭前の6月12日に伊勢神宮で朝日を見て参拝し、その足で丹波大江へ向かい、日室岳遥拝所より天照皇大御神様にお祈り申し上げました。
(詳細はメシヤ講座・三重参照)

言霊についてメシヤ様は「五十鈴川の解釈で世界の今後のことが判るのであるが、今是をお話することは出来ません。
 観音講座第一講座 主神の御目的と天地経綸の真相」と御教え下さっております。

五十鈴川についてネットで調べますと、五十鈴川の五十鈴は50音の言霊を表し、五十鈴川を渡ることの意味について、今事記ワークス代表の木戸寛孝氏は、ウェブサイト「スピリチュアル・ボイジャーズ」のインタビュー記事で、こう話されています。以下、引用。

「伊勢神宮の神域に入っていくには宇治橋を渡って五十鈴川を越えていかなければなりませんが、この五十鈴、「五十の鈴」が意味しているのは何かというと、50音図のことなんです。そして、川を渡るということは、五十音図の頭の部分『カ~ワ』に当てはまり、宇治橋を渡っていく自分自身が『吾・ア』であり、つまり『アカサタナハマヤラワ』の50音の形式を暗号化しているわけです。5つの母音によってア行(アオウエイ)とワ行(ワオウエイ)が縦に両脇に並び、その間を横並びに8つの父韻(k、s、t、n、h、m、y、l)がブリッジしています。この5母音がアマテラスという母性の象徴であり、8つの父韻を八幡と呼び、スサノオという父性の象徴を表しています。この5つの母音と8つの父韻という父と母の掛け合わせにより五十音図が形式化され、万物を作り出す雛型になっているという世界観なんです」

五十音の最初の「ア」のお文字を御神体にいただいている私達は言霊ということを常に意識すべきだと思いました。

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ところで、三重県津市に加良比乃神社があります。延喜式神名帳にある由緒ある神社のようです。 【延喜式神名帳】加良比乃神社 伊勢国 安濃郡鎮座

なんとこの神社の御祭神が 御倉板挙神様 伊豆能売神様 なのです。御倉板挙神様を御祭神とする神社はあまり存じませんし、天照大御神様が御遷座なされた後で、御倉板挙神様 伊豆能売神様の二柱を祭神として御迎えされたことに天照大御神様、御倉板挙神様、伊豆能売神様の深い因縁を想い感動した次第です。

『社伝によれば、倭姫命が天照大御神を奉戴し、この地に廻歴せられて、4年後さらに他所に遷座せられた後に、その宮跡に御倉板挙神・伊豆能売神二柱を祭つたのが創祀であり、それより産土神として崇敬されて来たとする。』
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