FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

御神名について(8)

本部です。

久しぶりにこの表題で書き込みを致します。鎌倉支部の書き込みに関連する内容でもあります。

「地上天国祭」以降、メシヤ様を教祖と仰ぐ教団で専従をされていた方や、それらの教団に何度か専従する機会に恵まれながら奉職しなかった方など、資格者をはじめとする多種多様な方々とメール及び面接、電話で頻繁に遣り取りをしています。

専従をされていながら退職せざるを得なかった方は、組織論の犠牲となり本来の信仰を求めるが故に問題視されてしまい、離職を余儀無くされたというものです。また、そうした話題に触れる機会があると「実際には自殺者まで出ているのが現実です」と指摘する方もいます。

専従の機を逸した方は、不思議な巡り合わせと言うしかない状態で他の道を歩んでしまったのです。既専従者の姿を通し組織上の問題を推測して、本来の御神業推進に没頭できない旨を感得したからのようです。

痛感することは、御神格に関わることが不明瞭であったことに起因して、組織論の犠牲になったり、疑問が生じたりしていることです。何故かと言いますと、御神格への認識が低ければそれに相応した信仰態勢しか築けませんし、宗教性も時の推移と共に希薄なものとなるからです。宗教の世界は何時も述べているように、目に見えない世界を相手にしています。中でも主宰神の御神格こそが要めなのです。御神格が最高最貴であれば、そこへ人為的な要件を持ち込むことはできませんが、低級であれば、相応に持ち込むこともできます。当然なことながら、この点が曖昧なままですと、人間が努力すべきことも曖昧になってしまいます。

つまり、三重支部から提供された『みくらたなの神様』に関する資料の『天上の王権の象徴(シンボル)』『五十音言霊図』『暦』『生命の大本源』『大御神の大宮殿』という内容を基にして信仰態勢を構築することが肝要なのです。

『天上の王権の象徴(シンボル)』からは覇権主義ではなく徳によって治める世界への希求が課題となりますが、教団紛争そのものがそのことを理解できていないことを意味します。また、『五十音言霊図』に対しても、教団紛争において“ウソの上塗り”が繰り返さえされたことから全く理解不能であったことがお解かりのことと思います。更に、『夜昼転換』という歴史観、『霊主体従』という世界観、生命誌的人間観、地上天国の雛型へと、一つひとつの構築がなされるべきであったのです。それ故、『文明の創造』を仕上げる意義がより鮮明になってまいりました。真理の解明となり、人々の救いへと繋がるからです。

これは私が自らの目で見てきたことから判釈できる内容ですが、メシヤ様御昇天時に専従者していた親を持つ方にお会いすると更に延長線上で考えることができます。当時かなり教会を転々とする支部長が多かったようです。この理由も上記同様で、御神格に関わることが曖昧にされたままでいたために人為的なものが色濃くなり、結果的に“どの教会長がメシヤ様の示された本来の御神業を推進しているのか”に焦点を向けざるを得なかったようです。求道心が旺盛な方ほど“よりメシヤ様の御心に適う道”を模索したようです。

しかし、これも御神格に関する内容に曖昧な部分が存在したために、教化の組み立てができずに生活指導も教会ごとにまちまちであったことを示しています。その後一元化がなされて統一化と構築化がなされる期待が持たれましたが、組織論のみが全面に出て、方針も社会性という謳い文句とは裏腹にやがて稚拙なものとなってしまいました。ただし、打ち出される方針が稚拙なものであっても、社会性のある信者によって支えられることによって事が推移された面もありますので、トップの志が低いとそれで良いと見てしまう結果を招いてしまいました。

様々な心ある方とお会いすると、因縁使命に基づいて本来の在り方を求める形に結集しているように受け止められました。
スポンサーサイト
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。