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『食の今昔』を考える

枚方支部より

 ご近所の方に、食について話してみました。

 「そんな事を言っていたら、食べるものが・・(苦笑)」

 その後その方の御宅に訪問すること20日間、隔日ごとに夕食を出してくれました。

 その間、毒物(農薬等)と健康、という話と、その中で、現代の治りにくい病気の要因の一つとして「毒の混じった食物を摂取し続ける」という話をし、最低有機農産物、次に自然農法、出来るだけ無肥料栽培(自然栽培)、という話を具体的商品とともにメリット、経済ヤリクリ、を話しました。

 「それは身体に良いのはわかっているけど、それが実際美味しくて、本当に良いと実感できるのだったら、そりゃ、近所のみんなにも自然と薦めるわよ」

 「一年食べて身体が軽く感じ健康を実感する人もいれば、化学物質アレルギーですぐにアレルギーが出なくなる人もいれば、その人の毒の質量と、摂取する毒のそれとの関係がありますから」

 こうした話は、信仰者に対しても最初は同様の答えが返って来ています。 ”浄霊しても治らない””病気全体に対しては微々たる変化であり治り難い”ことの『要因の一つ』であると話してきました。案外なザルに水、なのです。

 私達は信仰者として、メシヤ様から食についても真理を教わっています。それは、私も体験してますが、真実なのです。そこに沿わないで、どうして「救い」が頂けるでしょうか。道筋を教えて頂いているので、そこを歩む努力が無くて、どうして喜びの世界に到達できるでしょうか。

『努力』における『程』という事に、こうあります。

■ 何でも神様にお任せすればよいという事も真理なのですが、やはり人間はできるだけ努力しなければなりません。神様にお任せきりで努力も何もしなかったら、これもやっぱりいけません。だからそこで大局において神様にお任せし、方針はどこまでも努力し一生懸命にやるという事も必要なのです。とに角そこの使い分けです。そこで経と緯の両方、大乗と小乗を使い分けるわけです。
(中略)人間というものは、何でも不平に持って来るのです。それでは何事も満足するとよいかというと、満足したら進歩がなくなります。そこで不平も必要になります。要するに満足と不平が、これは相反するものだから調和はしませんが、しかしうまく塩梅(アンバイ)し、使い分けて進んで行くのが本当です。自動車の運転と同じようなもので、ちょっとでも一方が勝てば、その方に行ってしまいます。不満の事も起こるのだから、不満の事もよいです。それから又一方満足もあるから、それもよいのです。(昭和二十八年六月一日 御垂示録21号)

 いつまでも苦しんでいて、手を打たない、打てど一年前二年前と大して変わらず、というのもオカシナものなのです。満足していては、進歩がありません。

■ 神様に御任せしているからよいというような点があります。これは神様に御任せするというよりか、むしろ神様に責任を負わせるという、つまりあんまりダッコし過ぎるというきらいがあるのです。
 大いに努力して神様にできるだけ御手数をかけないようにするのが本当だが、そういう事なく、赤ん坊が親に養育されるような生温い考えが、信者というのは起きやすいのです。そこに難かしい点があるのと、又言うに言われない面白さがあるのです。そこで人力━自力と他力の線をうまくやってゆくという、それが一つの覚りであり、修業です。(昭和二十九年一月二十五日 御教え集30号)

 御任せと努力不足のバランスの修行の妙味もありますが、無知であるとか、努力不足、といった点もよく見受けられました。

■ 最善の努力とはどの程度か分らない。之は智慧です。だから智慧の足らなかった事が多いのです。
(御光話録 昭和二十三年八月二十八日)

 また、食を勧める最初、決まり文句的に「そんな事を言っていたら食える物がないから、そんな事はできない。毒も多少食わないと(苦笑)」と言われることがよくあります。

■ 或る程度までは一生懸命にやっても、その先は神様に御任せするというようにしておれば、かえって結果がよいので、早く分ります。そこで、こういう事があるのです。 今言ったとおり、艮の金神様を押込める方の総大将が天若彦尊とすると、天若彦尊という神様は天邪鬼的で、非常に素直でないのです。いわゆるケツ曲りで、何んでも曲るのです。それで、その一派がずっと世界を支配して来たからして、人間の心というものが、みんなそういうふうに歪(ユガ)んで来たのです。だから、どうも逆になるのです。良いと言って奨められると、ちょっとあべこべになって“あんまり奨めるから……そんなしつこく言わなくても、オレだって分らない事はない”と言って、逆に変に反対になるのです。そういう癖が非常にあるのです。(昭和二十九年二月四日 立春祭 御教え集31号)

 ちなみに、近所の方いわく、

 「実は、ウチは、近所の農家さんにわけてもらってますが、無農薬の野菜と米でして、少しは入っている場合もありますが・・そんな悪い食事は作ってないです」

 20日間後、

「御宅のでさえ、こうなるんです。この下腹部と背中を見てください」と触ってもらうと、膨れ様と隆起したコチコチに驚いてました。その他、私も他に頂いた方も胃が重くなっていた旨も話しました。
 それで、翌日から「これは毒かな、お父さん?」と喜びながら言っているそうです。調味料などもサンプルをおすそ分けしました。
 この一般の方は、「他人の結果をみて、素直」になられ、「メシヤ様のお示しになられた幸福の道」に喜ばれたということになります。

 今の教団方針、を考える時、

”だから幹部は神様が監督しているのです。幹部が間違っているように思うのですが、私もどうしてああやるかと思う事がありますが、しようがありません。神様がやっているのだから、神様が何んとかしてくれると思っているから放っておくのです。”(昭和二十八年十月一日 御垂示録25号)

 と私も思いますが、しかしそれは昔はメシヤ様が眼前にいらっしゃったから、個人的に反するとか悪い事をしても、教団人として表に立つ時は、浄霊や食について「薬」というものを否定してきたのだろうと思えます。メシヤ様は完全否定されておられる以上、それに従わない幹部方針など打ち出せようがなかったものと思います。

 今も昔も、人間の本質は変わらないですが、迷信の度合いが極度に強まってきている今こそ、ブレーキをかけて、むしろ正信の数多くの事例を示していく時期ではないか、と危機感が湧くばかりです。無肥料といっても、人類の食の大危機に際し、急にその農家が増え、作れるものではありません。
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